投資の世界に足を踏み入れると、必ず耳にする格言があります。
「卵を一つのカゴに盛るな(Don’t put all your eggs in one basket)」。
もしあなたがこの言葉を聞いて、「全部の卵を一つのカゴに入れておくと、落とした時に全部割れてしまう。だからカゴを分けて、全滅を防ぐための知恵でしょう?」と答えたとしたら。
それは正解ですが、50点です。
残りの50点は何でしょうか?
それは、「カゴを分けることで、期待できるリターン(卵の数)を減らすことなく、リスク(割れる確率や振れ幅)だけを魔法のように減らすことができる」という、数学的な事実にあります。
今日は、少し背伸びをして「大学レベルの金融論」の話をしましょう。
と言っても、難しい数式を解く必要はありません。使うのは、グラフを読み解く力と、論理的な思考力だけです。
1952年、ハリー・マークオビッツという経済学者が提唱した「現代ポートフォリオ理論(Modern Portfolio Theory: MPT)」は、投資の世界に革命を起こし、後にノーベル経済学賞を受賞しました。
彼の発見は、直感に反するものでした。「複数の資産を組み合わせることで、投資効率は劇的に向上する」。
今回は、この理論を高校生の皆さんにもわかるように翻訳し、なぜ投資において「分散」が最強の武器になるのか、その数学的なカラクリを解き明かしていきます。
1. 「リスク」の正体は「危険」ではない
まず、私たちは言葉の定義をアップデートする必要があります。
日常会話で使う「リスク」と、投資の世界(金融工学)で使う「リスク」は、全く意味が異なります。
日常の「リスク」と金融の「リスク」
普段、私たちが「リスクがある」と言うとき、それは「危険だ」「損をするかもしれない」「避けるべきもの」というネガティブな意味で使いますよね。
しかし、投資の世界においてリスクとは、**「不確実性の大きさ(振れ幅)」**のことを指します。
数学(統計学)の言葉を使えば、これは**「標準偏差(Standard Deviation、記号:$\sigma$)」**です。
少しイメージしてみましょう。
ここに、AさんとBさんという二人の生徒がいます。二人の数学のテストの平均点は、どちらも「60点」です。
- Aさんの成績: 58点、62点、60点、59点、61点(平均60点)
- Bさんの成績: 10点、100点、20点、90点、80点(平均60点)
二人とも平均点は同じですが、中身は全く違いますね。
Aさんは毎回安定して60点付近を取ります。次のテストでも、おそらく60点前後を取るでしょう。予測がしやすく、「振れ幅」が小さい状態です。
一方、Bさんは極端です。次は0点かもしれないし、100点かもしれません。「振れ幅」が非常に大きい状態です。
投資の世界では、**Bさんの状態を「リスクが高い」**と言います。
ここで重要なのは、「リスクが高い」ことは必ずしも「悪いこと」ではないということです。なぜなら、Bさんには「100点を取る可能性(大きなリターン)」も秘められているからです。
リターンとリスクのトレードオフ
投資において、リターン(収益)は「平均値」のようなものであり、リスクは「その平均値からどれくらい外れる可能性があるか(標準偏差)」です。
- ローリスク・ローリターン: 銀行預金のように、大きく増えもしないが、減りもしない(振れ幅がほぼゼロ)。
- ハイリスク・ハイリターン: 新興国の株式や暗号資産のように、一晩で倍になるかもしれないが、半分になるかもしれない(振れ幅が巨大)。
多くの人が投資を怖がるのは、この「振れ幅(ボラティリティ)」をコントロールできないと感じるからです。
「もし暴落して半分になったらどうしよう」という恐怖。
そこで登場するのが、ノーベル賞理論の核となる**「相関係数」**という概念です。
2. 魔法の数字「相関係数」を理解する
「卵を分ける」ことの数学的な意味。それは、異なる動きをする資産を組み合わせることで、リターンを維持したままリスク(振れ幅)だけを削ぎ落とすことにあります。
これを実現するために見るべき指標が、**「相関係数(Correlation Coefficient)」**です。
相関係数は、2つのデータが「どのくらい関係して動いているか」を「-1」から「+1」の間の数値で表します。
相関係数の3つのパターン
- +1 (完全正相関):一蓮托生
- 二つの資産が、全く同じタイミングで上がり、全く同じタイミングで下がる状態です。
- 例えば、「真夏のアイスクリームの売上」と「カキ氷の売上」。暑ければ両方売れるし、寒ければ両方売れません。
- 投資への影響: これらを組み合わせても、リスク分散効果はゼロです。両方同時に暴落するからです。
- 0 (無相関):関係なし
- 二つの資産の動きに何の関係もない状態です。
- 例えば、「昨日のサイコロの目」と「明日の株価」。
- 投資への影響: ある程度の分散効果が期待できます。
- -1 (完全逆相関):あまのじゃく
- 片方が上がれば、もう片方は必ず下がる状態です。
- 古典的な例え話で言えば、「傘屋」と「日焼け止め屋」です。雨が降れば傘が売れる(日焼け止めは売れない)。晴れれば日焼け止めが売れる(傘は売れない)。
- 投資への影響: これが最強の組み合わせです。お互いのマイナスを打ち消し合うため、全体の売上(リターン)を安定させながら、売上がゼロになるリスクを極限まで減らすことができます。
「足して2で割る」以上の効果
ここが数学のマジックです。
期待リターン5%の「資産A」と、期待リターン5%の「資産B」があったとします。
両方を半分ずつ持てば、ポートフォリオ全体の期待リターンは変わらず5%です。
しかし、もしAとBの相関係数が低ければ(動きがバラバラなら)、リスク(振れ幅)は、単純に足して2で割った数値よりも小さくなります。
グラフでイメージしてください。
ギザギザに動く波(資産A)と、それとは違うタイミングでギザギザに動く波(資産B)を合成すると、山と谷が打ち消し合って、波の穏やかな曲線になりますよね?
これこそが、ポートフォリオ理論が教える**「フリーランチ(タダ飯)」**と呼ばれる現象です。
通常、リターンを得るにはリスクという対価が必要ですが、分散投資だけは、リターンを犠牲にせずにリスクを減らすことができる唯一の方法なのです。
3. 【ワーク】歴史から学ぶアセット・アロケーション
理論はわかりましたね。では、実際に歴史的なデータを使って、その効果を検証してみましょう。
これを「バックテスト」と呼びます。
今回は、2008年に起きた世界的な金融危機「リーマンショック」の時期をシミュレーションしてみます。
100年に一度と言われたこの大暴落時、資産配分(アセット・アロケーション)の違いが生死を分けました。
ケースA:攻めの「株式100%」ポートフォリオ
あなたは「若いうちはリスクを取れる!」と考え、全財産を米国株式(S&P500など)に投資していたとします。
これは「卵を一つのカゴ」に入れている状態です。
- リーマンショック時の動き: 株価は最大で約50%下落しました。
- 心理的ダメージ: 100万円が、短期間で50万円になる。この恐怖は想像を絶します。多くの人はここで「もうゼロになるかもしれない」という恐怖に耐えきれず、底値で全てを売却して市場から退場してしまいます(狼狽売り)。
- 回復までの期間: 元の100万円に戻るまでに、数年単位の時間を要しました。
ケースB:守りの「バランス型」ポートフォリオ
次に、現代ポートフォリオ理論に基づいて、「異なる動きをする資産」を混ぜていた場合を考えます。
例えば、以下のような配分です。
- 株式:50%
- 債券(国債):30%
- 金(ゴールド):20%
ここで重要なのが相関関係です。
一般的に、危機が起きて株(リスク資産)が売られると、投資家は「安全資産」にお金を逃避させます。その代表が「国債」や「金」です。
つまり、株と国債、株と金は、**逆相関(または相関が低い)**の関係になりやすいのです。
- リーマンショック時の動き:
- 株式部分は大きく下がりました(-50%)。
- しかし、債券価格は上昇しました(金利低下による価格上昇)。
- 金価格も、通貨への不安から上昇傾向を見せました。
- 全体の結果: ポートフォリオ全体の下落率は、株式100%の時と比べてマイルド(例えば-20%〜-30%程度)に抑えられました。
- 心理的メリット: 「株は下がっているけど、金が上がっているから大丈夫」という精神的な余裕が生まれます。これにより、パニック売りを防ぎ、その後の回復期まで市場に留まることができたのです。
算数で見る「回復」の落とし穴
なぜ「大きく下げない」ことが重要なのでしょうか。ここにも数学の罠があります。
資産が50%下落した場合、元の価格に戻すには何%の上昇が必要でしょうか?
「50%」ではありません。**「100%(2倍)」**の上昇が必要なのです。
(100万円 → 50万円。50万円を100万円に戻すには、+50万円が必要。つまり+100%)
一方、資産の下落を**20%**に抑えられた場合(100万円 → 80万円)。
元に戻すのに必要な上昇率は、**25%**で済みます。
**「負けない(大きく減らさない)こと」**が、資産形成においていかに有利に働くか。数学は残酷なほど正直にこれを教えてくれます。
4. 「効率的フロンティア」を目指して
ここまでの話を統合すると、ある一つの結論が見えてきます。
それは、**「最も効率の良い組み合わせ(ポートフォリオ)が存在する」**ということです。
横軸にリスク(標準偏差)、縦軸にリターン(期待収益率)をとったグラフを描くと、あらゆる資産の組み合わせの中に、**「同じリスクなら最もリターンが高く、同じリターンなら最もリスクが低い」点の集合が現れます。 これを「効率的フロンティア(Efficient Frontier)」**と呼びます。
投資のプロやAIアドバイザー(ロボアド)がやっていることは、つまるところ、あなたの資産配分をこの「効率的フロンティア」の曲線上に乗せる作業です。
完璧な正解はない、しかし「自分の正解」はある
「じゃあ、一番儲かる黄金比率を教えてください!」と聞きたくなるかもしれません。
しかし、残念ながら万人に共通するたった一つの正解はありません。なぜなら、人によって「取れるリスクの大きさ(リスク許容度)」が違うからです。
- 高校生のあなた: まだ働いて稼ぐ期間が長く、一時的な暴落からの回復を待つ時間があります。→ 株式の比率を高めて、リスク(振れ幅)を受け入れつつ高いリターンを狙う戦略が合理的かもしれません。
- 引退間近の人: 暴落して資産が半減すると、生活が破綻してしまいます。→ 債券や現金の比率を高めて、リターンを犠牲にしてでもリスク(振れ幅)を最小限にする戦略が必要です。
重要なのは、「なんとなく」買うのではなく、**「自分はどのくらいの標準偏差(振れ幅)に耐えられるか」**を設計することです。
まとめ:数学は未来への「松明」になる
今日は、現代ポートフォリオ理論という少し硬いテーマを扱いました。
ポイントを振り返りましょう。
- リスクとは「危険」ではなく「振れ幅(標準偏差)」である。
- 相関係数が「+1」以外の資産を組み合わせることで、リスクは相殺できる。
- 「卵を分ける」とは、異なる値動きをする資産(株、債券、金など)を持つこと。
- 大きく負けない(ドローダウンを抑える)ことが、結果的に最速の資産形成につながる。
金融の世界は、一見するとプロだけが知っている秘密のギャンブルのように見えるかもしれません。
しかし、その裏側には確率と統計という強固な数学的基盤があります。
数学を知っているということは、真っ暗な洞窟の中で「松明(たいまつ)」を持っているようなものです。
未来は誰にも予測できません。明日、株価が暴落するかもしれません。
しかし、松明を持っていれば、「暴落という事象が確率的にどの程度起こりうるか」「起きた時に自分の資産はどう動くか」を予測し、冷静に対処することができます。
不安は、無知から生まれます。
知識という松明を掲げ、自信を持って自分の人生という資産を運用していってください。
それが、金融リテラシーを学ぶ本当の意義なのです。
2. 免責事項
この記事は、金融リテラシーの向上を目的とした教育的なコンテンツであり、特定の金融商品の勧誘や売買の推奨を目的としたものではありません。投資には価格変動リスクがあり、元本割れが生じる可能性があります。実際の投資判断は、ご自身の責任と判断において行ってください。また、過去のデータは将来の運用成果を保証するものではありません。