【序章】60年前の切手が教えてくれた「持っているだけ」の価値がゼロになる瞬間
先日、久しぶりに実家に帰り、両親と一緒に大掛かりな整理をしました。埃をかぶった押し入れの奥、積み上げられた布団の隙間から出てきたのは、茶色く変色した古い缶箱でした。
重たい蓋をゆっくりと開けると、そこには昭和の時代の空気がそのまま閉じ込められたかのような、大量の「切手」が眠っていました。
1960年代から1970年代。日本が高度経済成長に沸き、誰もが「明日は今日より豊かになる」と信じて疑わなかった時代です。父が趣味でコツコツと集めていた記念切手のシートや、綺麗に切り取られた使用済み切手、そしてバラの切手が、色褪せることなくそこにありました。
「これ、結構な価値になるんじゃないか?」
一瞬、そんな期待が頭をよぎりました。私たちが子供の頃、切手収集ブームというものがありました。「見返り美人」や「月に雁」といったプレミア切手が、驚くような高値で取引されているというニュースを、テレビや雑誌で見た記憶が微かに残っていたからです。父もまた、「いつか値上がりするから」と嬉しそうにアルバムを見せてくれたことがありました。
しかし、その淡い期待は、近所の買取専門店での査定結果とともに、脆くも崩れ去りました。
提示された金額は、額面(切手に印刷された金額)の合計を大きく下回るものでした。それどころか、店主からは「バラの切手はお値段がつかないこともありますし、額面通りの買取も難しいのが現状です」と、申し訳なさそうに告げられてしまったのです。
例えば、1970年の10円切手。 当時はハガキが7円で送れた時代です。10円あれば、子供は近所の駄菓子屋でおやつを買うことができました。10円には確かな「力」があったのです。 しかし、2025年の今、この10円切手は、文字通り「10円」の価値しか持ちません。いいえ、2024年10月の郵便料金改定でハガキを送るのに85円が必要になった今、1枚では郵便を送ることさえできないのです。
「物に替えて持っていたら、価値がそこで固定されてしまう」
その時、私は強烈な違和感とともに、背筋が寒くなるような恐怖を感じました。 これまで「大切にしまっておくこと」は美徳だと思っていました。無駄遣いせず、物を大事にする。それは日本人の美しい精神性です。しかし、経済の冷徹な視点で見れば、それは**「資産を腐らせている」**のと同義だったのです。
使っていないモノをただ置いておくと、時間は残酷なまでにその価値を削ぎ落としていく。 この大量の切手たちは、私に現代社会を生き抜くための、あまりにも重要な教訓を突きつけてくれました。
この記事では、実家の切手整理という個人的な出来事から見えてきた、**「インフレ時代における資産の守り方」**について、深く掘り下げていきたいと思います。 これは決して他人事ではありません。あなたの家のクローゼット、物置、あるいは銀行口座にも、同じように「価値が目減りし続けている資産」が眠っているかもしれないのですから。
【第1章】なぜ「コレクション」は資産にならなかったのか?:切手ブームの裏側にある経済学
なぜ、父が大切にし、将来の資産になると信じていた切手は、その価値を失ってしまったのでしょうか? そこには、「希少性と需要のバランス」、そして**「名目価値と実質価値の乖離」**という、経済の普遍的なルールが働いています。
1. 供給過多による希少性の欠如
1960年代から70年代にかけて、日本中で空前の「切手収集ブーム」が巻き起こりました。「投機目的」で切手を買う大人たちや、お小遣いを握りしめて郵便局の窓口に並ぶ子供たちで溢れかえったのです。
この熱狂的なブームに対し、当時の郵政省(現在の日本郵便)は当然の対応をしました。**「大量発行」**です。 何百万枚、時には数千万枚という単位で記念切手が発行されました。多くの人が「これは将来値上がりする」と信じて購入し、湿気対策をして丁寧にアルバムに保管しました。
ここが最大の落とし穴です。 資産価値というのは「欲しい人が多い(需要)」のに対し、「存在している数が少ない(供給)」ときに初めて上昇します。 しかし、当時の切手は「みんなが持っていて、みんなが大切に綺麗に保管している」状態です。美品の現存数が極めて多いため、希少性が全く生まれないのです。 さらに、ブームから50年が経過し、当時の収集家が高齢化して「手放す人(遺品整理含む)」が激増しました。一方で、新たに切手を集めようとする若者は激減しています。 市場は供給過多で溢れかえり、需要は消滅に近い状態。これが、買取価格が額面割れを起こす最大の構造的要因です。
2. 「額面」という呪縛:名目価値の固定化
切手には「10」や「20」といった数字が印刷されています。これは**「額面価値(名目価値)」**と呼ばれます。 切手というモノの本質は、「郵便サービスを受けるための前払い証書」です。10円切手は、50年経っても100年経っても、「10円分の郵便サービス」としか交換できません。日本銀行券(現金)と同じく、額面に書かれた数字は絶対に変わらないのです。
ここに、**「インフレ(物価上昇)」**という時間の要素が加わるとどうなるでしょうか。
- 1970年の10円: ラーメン1杯が約100円〜150円の時代。10円はラーメンの約10分の1〜15分の1の価値がありました。
- 2025年の10円: ラーメン1杯が1000円を超える時代。10円はラーメンの100分の1の価値しかありません。
切手に印刷された「10」という数字は1ミリも変わっていませんが、そのお金で買えるモノの量(実質価値)は、50年の間に劇的に減ってしまったのです。
私が実家で感じた「価値が固定されている」という感覚の正体はこれでした。 モノとして所有し、額面が固定された時点で、その資産は世の中の経済成長や物価上昇から取り残され、相対的に貧しくなり続けていたのです。
【第2章】インフレと円安が進行する現代の警告:あなたの「使っていないモノ」も価値を失っている
「切手の話でしょう? 私には関係ないわ」 そう思われたかもしれません。しかし、形を変えて全く同じことが、あなたの身の回りでも起きていませんか?
現代の日本は、長年続いたデフレ(物価が下がる時代)から、インフレ(物価が上がる時代)へと大きく舵を切りました。さらに、構造的な円安も進行しています。
1. 「タンス預金」は現代の切手収集と同じ
もしあなたが、銀行の普通預金(金利がほぼゼロに近い状態)や、自宅のタンスに現金を眠らせているなら、それはあの切手と同じ運命を辿っています。
例えば、日本の物価が年に2%上がると仮定します。 100万円をタンスにしまっておいた場合、1年後も額面は「100万円」のままです。お札の枚数は減りません。しかし、世の中の物の値段が上がっているため、その100万円で買えるものは、実質的に98万円分に減っています。 これを10年、20年と放置すれば、資産価値は2割、3割と確実に削られていきます。
「減らないから安心」なのではなく、**「何もしないから、確実に減っている」**のです。これは「見えない損失」ですが、ボディブローのように家計を蝕みます。
2. 「いつか使うかも」という所有コスト
切手だけでなく、クローゼットに眠る服、使っていないブランドバッグ、箱に入ったままの食器、読み返さない書籍。これらもまた、価値を失い続ける「負債」になり得ます。
- 経年劣化のリスク: モノは時間とともに必ず物理的に劣化します。加水分解してボロボロになるスニーカー、虫食いのリスクがある着物、バッテリーが放電しきって使えなくなる電子機器。
- トレンドの喪失: ファッションやデザインには流行があります。機能が古くなれば、市場価値は下がります。
- スペースという莫大なコスト: 都会のマンションの坪単価や家賃を考えてみてください。使わないモノを置いておくためのスペースに、あなたは毎月数千円、数万円の家賃(またはローン)を払っていることになります。
私が実家の切手を見て痛感したのは、**「使っていないモノを置いておくことは、現状維持ではなく、マイナス成長である」**という冷酷な事実でした。 「いつか使う」という言葉は、思考停止のサインであり、資産をドブに捨てている音なのかもしれません。
【第3章】「価値を保全・増大させる資産」とは?:切手との決定的な違い
では、私たちはどうすればよかったのでしょうか? そして、これからどうすればいいのでしょうか? 答えはシンプルです。「価値が固定されたモノ」から「価値が成長する資産」へと、置き場所を変えることです。
1. インフレに強い資産に置き換える
切手のように額面が決まっているものではなく、世の中の経済成長や物価上昇に合わせて、その価値自体が変動し、上昇する可能性のあるものを資産として持つ必要があります。
- 株式(投資信託含む): 企業活動の権利です。インフレになれば、企業は原材料費の高騰を商品価格に転嫁し、利益を守ろうとします。結果として株価も物価上昇に合わせて上昇しやすいため、歴史的にインフレに強い資産の代表格とされています。
- 金(ゴールド): 「有事の金」とも呼ばれますが、貨幣(円やドル)の価値が下がるとき(インフレ時)に、相対的に価値が上がる実物資産です。
- 不動産: 土地や建物も、物価上昇に伴い価格や家賃が上がることが一般的です。
もし、父が1970年に切手を買うのではなく、そのお金で当時の「優良企業の株」を買っていたり、あるいは単に「金(ゴールド)」を買っていたりしたらどうなっていたでしょうか? 当時の金価格は1グラムあたり数百円から千円程度。現在は1グラム1万円を遥かに超えています。価値は何十倍にも膨れ上がっていたはずです。これが「価値が固定されていない資産」の強さです。
2. 複利という時間を味方につける魔法
切手収集は、基本的に「足し算」の世界です。買った分だけ増える。 しかし、投資の世界には「複利」という魔法があります。得られた利益がさらに次の利益を生み、雪だるま式に資産が増えていく仕組みです。
1960年代から現代までの50年以上という長い時間を、ただ「保管」に使ってしまった切手と、「運用」に回していた場合の資産。その差は、計算するのが怖くなるほど開いています。 時間は、使い方次第で「価値を腐らせる毒」にもなれば、「価値を最大化する最高の肥料」にもなるのです。
3. 現代の武器「新NISA」と「iDeCo」
幸いなことに、現代には**新NISA(少額投資非課税制度)やiDeCo(個人型確定拠出年金)**という、私たち一般市民が資産を守るための非常に優れた制度が整備されています。 これらは、運用で得た利益にかかる約20%の税金をゼロにしてくれる、国が用意した「資産形成の特急券」です。
かつては、資産運用というと一部の資産家のものというイメージがありました。また、電話で勧誘される手数料の高い怪しい金融商品も溢れていました。 しかし今は違います。ネット証券を使えば、世界中の優良企業に、低コストで、しかも100円から投資ができる時代です。 この恵まれた環境を使わない手はありません。かつての切手収集のような「趣味」の延長ではなく、将来の自分と家族を守る「盾」として、これらの制度を活用すべきです。
【第4章】資産を見直すための具体的な3つのステップ:行動へのロードマップ
実家の切手整理で得た教訓を、ただの「いい話だった」で終わらせてはいけません。 切手が教えてくれた「固定化の恐怖」から脱出し、今すぐできる具体的な行動ステップを提案します。
ステップ1:家庭内の「埋蔵金(不要品)」を現金化する
まずは、家の中にある「価値が固定・劣化しているモノ」を徹底的に洗い出しましょう。
- コレクションしていたが熱が冷めたもの
- 1年以上着ていない服、履いていない靴
- 使っていない引き出物の食器、タオル
- そして、大量の書き損じハガキや古い切手
これらを、メルカリやリサイクルショップ、買取専門店を利用して、現金化します。 「高かったのに安く売るのはもったいない」と感じるかもしれません(サンクコスト効果)。しかし、持っているだけで価値が下がり続けることこそが、本当の「もったいない」です。 切手に関しては、郵便局で所定の手数料を払えば、現在のハガキやレターパックに交換することも可能です。使う予定があるなら交換し、ないなら金券ショップ等で換金し、流動性のある「現金」に戻しましょう。
ステップ2:換金した資金を「生きた資産」へ移動させる
不要品を売って得た臨時収入や、銀行に眠らせすぎている余剰資金を、新NISAなどを活用して「インフレに負けない資産」へ移動させます。
いきなり全額を投資する必要はありませんし、個別の企業分析をする必要もありません。 まずは新NISAの「つみたて投資枠」を利用して、毎月定額を「全世界株式(オール・カントリー)」や「米国株式(S&P500)」などに連動する低コストのインデックスファンドに積み立てることから始めましょう。
これにより、あなたの資産は「過去の価格(固定)」から切り離され、「世界経済の成長」と連動するようになります。寝かせているだけの種を、肥沃な土壌に植え替える作業です。
ステップ3:年に一度の「資産の棚卸し」を習慣化する
年末の大掃除の時期などに合わせて、モノと金融資産の両方をチェックする習慣をつけましょう。
- この1年で使わなかったモノはないか?
- ただ現金を寝かせているだけの状態になっていないか?
- NISAの積立額は適切か?
定期的にメンテナンスすることで、資産の「腐敗」や「固定化」を防ぎ、常に鮮度の高い状態を保つことができます。
【結論】切手の教訓を未来に活かす:行動こそが最大の価値保全策
実家の整理で出てきた古い切手たち。 それらは、経済的な価値という意味では、残念な結果に終わりました。しかし、私に**「時間は、価値を変える」「何もしないことはリスクである」**という真理を教えてくれたという意味では、プライスレスな価値があったとも言えます。
私たちは今、激動の時代に生きています。 「昔と同じやり方」「親世代の常識」が通用しないどころか、リスクになる時代です。 「使っていないものをおいておくと価値が下がっていく」。この実感を、ぜひあなた自身の生活に当てはめてみてください。
過去の思い出に浸るのも大切ですが、それ以上に大切なのは、あなたとあなたの家族の未来を守ることです。 もし、心当たりがあるのなら、今日がその整理を始める「最良の日」であり「一番若い日」です。 まずは引き出し一つ、財布の中身一つからで構いません。 固定された価値を解き放ち、未来へ向かって成長する資産へと変えていきましょう。
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- 本記事は、筆者の個人的な体験と見解に基づく情報提供を目的としており、特定の金融商品の勧誘や売買の推奨を目的としたものではありません。
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- 投資には元本割れを含むリスクが伴います。資産運用に関する最終的な決定は、ご自身の判断と責任において行っていただきますようお願いいたします。
- 切手の買取価格は、保存状態や市場の需給バランスにより大きく変動します。すべての切手が額面割れするとは限りませんが、一般的な傾向としての記述です。