この題名については、ちょっといいのかなって思いますが、最近、雑誌で安楽死・尊厳死について読んだので思うことを書いてみました。
安楽死(あんらくし、英語: euthanasia)とは、人または動物に苦痛を与えずに死に至らせることである。一般的に、終末期患者に対する医療上の処遇を意味して表現される。
安楽死に至る方法として、積極的安楽死(せっきょくてきあんらくし、英語: positive euthanasia , active euthanasia)と、消極的安楽死(しょうきょくてきあんらくし、英語: negative euthanasia , passive euthanasia)の2種類がある。
また、安楽死の別表現として、尊厳死(そんげんし、英語: dignified death , death with dignity)という言葉がある。これは、積極的安楽死と消極的安楽死の両方を表現する場合と、安楽死を本人の事前の希望に限定して尊厳死と表現する場合があるが、世界保健機関、世界医師会、国際連合人権理事会、国家の法律、医療行政機関、医師会などの公的な機関による、明確または統一的な定義は確認されていない。
(Wikipediaより)
日本?世界的?に安楽死は認められておらず、医療行為が必要になった場合は救助することが義務付けられています。本人の希望とは別に生かされていくことがある。その時の感情だけで決定することではないため、生きていることで考えも変わって救助していただいてよかったと思うこともあると聞きます。
雑誌には、安楽死等を許容するとそれを仕事にし、色々と問題が発生することも記載されていましたが。
そもそも「死」とはなにかが、気になります。
心臓が停止する。呼吸が停止するなどを「死」としていると思いますが、脳死の判断もあるようです。移植を行うおうとすると、必要になるのでしょう。
感情を表にだせなくなって、自分で肉体を維持することができなくなった時点で「死」となるのでしょうか?しかしながら、今後、高齢化が進んだ時は医療費が莫大になります。この費用は維持が高度であればあるほど、高額になります。高齢の方は、保険制度で数割の負担となるかもしれませんが、それは今の時代の若い人たちの納付によって成り立っている。どこかで考えることが必要かと思います。
話は変わりますが、ここまで考えてくると、人が生きれなくなるのは肉体の維持が困難になってきて、人の感情をだすことができないことだと感じます。高齢の方も、最近は動けなくてって言われて、肉体がついてこれないのが現実のように感じます。
最近、この先を題材にしたドラマを見た気がしました。そう。
「UPLOAD」です。
その時は、今後はアバターかなっておもっていましたが、高齢化社会の保険制度の維持を図るには、「UPLOAD」かもしれません。人の感情は記憶に関することが多いように感じます。年を重ねると泣きやすくなるのも、共感しやすくなるからだと思いますし。
記憶を保存することで、いつでも、先祖に会うことができる。画期的ですよね。昔は冷凍保存で人体を保存し、治療法ができたら生き返らせるってこともあったかもしれませんが(SF?)、移し替えるほうが楽かもしれませんね。
脳の中に人の記憶を埋め込むことができるとすごいですよね。催眠術ってもしかして、記憶を書き換えているんですかね。ちょっと、現実離れしてきましたが。
「UPLOAD」などもそうですが、人間らしさとは、記憶のように感じます。経験したことがその人を構成する。だから、ドラマでも乗り移った時にその人を感じたりするのかも(これもドラマの見過ぎかも)。
アルツハイマー病は、脳の萎縮によって記憶の呼び戻しがしにくくなった状況らしいです。これもドラマですが、今「記憶」ってドラマが放送されています。中井貴一さんが出演されているのですが、最初は硬い話だろうなって見てたけど、感動する話です。ちょっと、探偵じみた話も入っています。
昔から記憶を操作することは夢物語でしたが、これからは記憶を操作・保存することができる時代かもしれません。