いろいろと話題になった築地ですが、とうとう引っ越しとなったようです。「日本の台所」として親しまれたこの場所の営業が終了したようです。83年の歴史に幕を閉じました。83年前といいますと、1935年。1935年は第二次世界大戦等の間で、他にもシャープや松下電器産業などが創立した年でもあります。。ちなみに築地っていうのは、「築」いた土「地」って意味みたいですね。徳川家康が関西から江戸に幕府を移した後に、1657年に起こった大火により江戸の町全体が大きな被害をうけて、江戸の町の建て直しを行うにあたって、以前からの課題であった土地不足を解消するために八丁堀の湿地帯を開拓したようです。この開拓地が後の「築地」です。
また、寺町との繋がりも強いのが特徴的だったようです。その後、1923年に関東大震災が起こり、震災により大打撃をうけた日本橋魚市場の仮市場として築地が選ばれました。1930年には帝都復興事業の一環で道路ができたりといくつものお寺が移転したようです。そして、1935年に仮市場は正式に東京中央卸売り市場築地市場となったようです。戦時中でもあり、閑散とした商店街になったようです。また、アメリカ軍により一度は撤収されたようで、これにより場外市場が形成されて、返還された時にはこの場外市場がさらに活気あふれる商店街となるきっかけになっていたようです。その築地が豊洲に移転することになり、また、ひとつ市場に変化があるようです。豊洲に移転することにより場外市場は分離します。流れからすると、場内にあったお店が場外にでて市場を形成したことを考えると場外も市場の一部のように感じますがしょうがないことなのでしょう。豊洲と築地が連携することでさらに発展していくといいですね。
豊洲に移転するのが遅れた原因は、盛土問題でしたよね。盛土を途中でやめて杭と梁で浮かしたような気がします。建築物を考える上では盛土を杭と梁にすることは良かったように感じます。
あれだけの敷地を5m近く埋め立てるとなるとかなりの土が要ります。どこからもってきたのでしょうか?土が生まれてくるなんてことはないのでどこかの丘がなくなったんだと思います。あと、建物の設計は砂岩に対して杭を打って自立するように設計されていると思いますので、土があろうとなかろうと変わらないはずです。水やベンゼンが気になるのであれば、コンクリートで蓋でもした方がよかったかも。空気はどの業界においても一番の隔離する物質なんですけどね(冷たいものを持続する入れ物も途中に何かありますよね)。土を入れたってことは土を伝って上がって来ることが考えられませんか(毛細管現象ってありそうですよね)。土って考えているほど詰まっていませんしね。道路つくる時だって一年位、持ってきた土を自然の力で転圧しますしね。持ってきて人間の力で固めても固まりません。コンクリートとかのひび割れている箇所って下が空洞になっている可能性があるんです。それって、土を固めたけど、自然に更に固まって空洞ができるからなんです。だから、重要な道路を作る時は持ってきてから自然の力に任すんです(怠けているわけではないですよ)。土を入れたことがどう影響するか、これからわかることです。
日本の魚文化は世界に誇れる文化だと思いますので、大事にしていきたいと思います。魚を食べたくなりますね。